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零私記

狼逃苦肉の策でブログになった

天国と地獄、そして煉獄

 煉獄とは、天国と地獄の間にあり、罪をあがなうまで苦しみを受け、浄化される場所である。

一見、まるで地獄なのではと思えてしまう。 では、天国と地獄とは。

天国とは、死後の霊が行く場所である。
地獄とは、罪を悔い改めない者が行く場所である。

さて、ここで問題が生じる。

煉獄では、罪をあがない、浄化される。
しかし、罪人の行く地獄が用意されている。
地獄に行く霊など、いるのだろうか。

煉獄での相手は(おそらく)神であり、無限時間、苦行を与える事が可能である。
つまり、いくら罪があろうと、あがなわせる事が出来る。
煉獄を出た時点で残った罪は無いのである。

しかし、定義をよく見ると、地獄は罪の有無ではなく、悔い改めるかどうかなのだ。
神々の苦行を受けてなお、罪を犯す心がある者は、地獄に行くのである。
問題は無い事になる。

ところがだ。神々の苦行を受けてなお、罪を犯そうとする強者がいるのだろうか。
いや、いなければ地獄など存在しない。 つまりいる。

これは、神でさえ止められない罪人がいるという事である。
真の罪人は、神より強し、なのである。

ただ、この神は煉獄限定である。
天国地獄に、煉獄以上の神がいる可能性は否定できない。

ならば、なぜ初めから強い神に煉獄を担当させないのか。
これは、苦行面で秀でた神はやはり煉獄にいるからなのではないか。

つまり、罪人を反省させる事に関して、人は神を超える、という事である。

何より、生きている内から、罪など犯さないように強制すれば良いのだ。
それが出来ない、という事は、所詮神はその程度なのである。

以上、煉獄にみる神の偉大さの限界でした。

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