今日の夕飯。
カップラーメン、蜜柑、焼き芋、ビール。
独り暮らしか。 と自嘲。 明日もこんな感じ。
V氏、私らに美味しい料理を振舞って。
以下、意味不明の羅列。
ヒントはプロローグ、反面教師的にとらえれば、自ずと形は見えてくる。
つまり、逆説的に考えれば、”今”がその境目である事を示している。
だがその”今”が今や過去でない保証はなく、十分既に存在している可能性は否定できない。
またその”今”について今、考えられ受け入れられている事がその証明にもなっている。
発生は確率であろうが、定義される領域が違う以上、和集合上で関数が連続とは限らない。
よって、同一の基準で考えていては間違いは避けられない。
確率と言えば。
マクスウェルの悪魔とラプラスの悪魔。
ラプラスの悪魔は見事成敗されているが、マクスウェルの悪魔は今だ草の根的に跋扈している。
しかし元々マクスウェルのほうは、マクスウェルの天使、みたいな物を内包している気がする。
高校までの知識しか無い私だから古典力学的な考えをしてしまうが、
マクスウェルの悪魔の考察なんて、端から無意味だと思うし、
ラプラスの悪魔の方が、むしろ存在しているのではないだろうか、と思える。
そもそもラプラスの悪魔を殺した学問の良い例として挙げられる物は、
そのほとんどが人間が完全に関与しているというのだから、その信憑性は疑わしい。
哲学的・医学的・精神的に十分に定義されていない人間が判断基準では実証性があるのか。
悪魔が存在するのは物理学や宗教だけではない。 数学にもあるのである。
そしてその定義と定義による分類の世界だからこそ考えるのは、
悪魔的である条件が不十分であったらどうなのか、一部が別物ならどうなのか、だ。
表面上認識されている物は実はそのまさに表面でしかなく、
その実、より大きな体系の一部であるかもしれない。
気付いた私だかこそ見つけねばならない、とここまで読むと私はただの麻薬中毒者だ。
数学と宗教は意外なほど関係がある。 と言っても一例しか知らないが。
図形の中のある美しい法則に、そこに神が宿っているのだ、という宗教者が太古にいた。
よく哲学や数学の書に出てくる有名な人物だが、実名は控えさせていただこう。
またその図形とは、小学校などで誰でも習っている一般的な形や、
建築や絵画の美しさの象徴である黄金比などである。
科学と宗教は所詮、上の次元で考えれば、1つの分類に過ぎないのではないか。
科学は真実で、宗教は気休めなどと考えていても、
人の意思・精神が化学物質の量で左右されるマヤカシだというのに、
そこに特別性や魂の存在をどこか否定しきっていない。
また動物と人を明らかに区別しているのもいかがな物か。
ペットを殺せば、相手の持ち物を壊した罪に問われる世の中で、
科学こそ正解で、宗教はインチキなどと言えるのだろうか。
宗教は科学で否定され、科学は宗教と共通部分を持つ。
なら、1つ上の”宗教”という物で、両者括られるのではないか。
とここまで書いて40分。
この後、目と脳の構造から世界が本気で幻影でしかない事まで書こうと思って、
面倒でやめた。 その辺は私が酔った時にでも友人に話してると思う。
いや、良いね、こういう考えさせられる”アニメ”はwww
脳が活性化してるわ。 楽しいよ。 何とか・ハイ、みたいな。
人は境界に触れた時、進化する。 つまり難解な・困難な場面でこそ成長する。
海と陸地の境で大きく生物が進化したように、
己と他者の境界に触れる事で自己が形成されるように、
こういう何かの人生の境界こそ、きっと変わり時で脳の構造も変遷するのだろうか、な。
って話が終わらないので寝る。 知識に波があるって自分でも思います、はい。
つーか今、ここの忍者の管理画面にログインできなくてびびった。
アクセス解析見ようと思ったら、ID入力して、ってなって、あぁクッキー切れたか、
と思ったら、何度やってもエラーが出て。
しゃーねーから、パスの再発行しようとしても、何故かエラーが出て。
あぁ、こりゃブログからカウンターから何までサヨナラだ、と思った。
のだが、何故かブログにはログインできているという怪異。
数分放置したら、何事もなかった。 クッキーも切れてなかった。
そりゃログインしてんだから、ログインできないよな。
どうした忍者、がんばれ。 ここまで有名になって、それは無いぜっ!?