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零私記

狼逃苦肉の策でブログになった

言語学的「利き手」

2006 年 10 月 15 日
 皆さんは右利き・左利きという言葉を聞いた事があるだろう。 そしておそらくほとんどの人が、自分はそのどちらかだと思っているだろう。 だが、私は1つ疑問を抱えている。 そこで皆さんに考えてほしい。

両利き、そんな言葉は無いがどういう物かは想像がつくだろう。 何事も両方の手で行える、そんな所だろう。 筆も箸もボールも力仕事も細かい作業も、どちらの手でも可能という事だ。 普通に考えてそうなる。 だが。

なら、右利きの定義は何なのか。 全ての事が右で可能な事なのか。

数学的に考えると、右手を使っている時の左手の状態も右手で再現できなければ、定義に反する。 ここまで完全な事が出来る人間はおそらくいないだろうし、もはや両利きと変わる所が無い。 ただ左手では右を再現できない事から、右手のみ両利き、と呼ばれるかもしれない。

常識的に考えてそれはないだろう。 ならば、常識一般で右で行う事は右で行う事、というのが正しいのかもしれない。 だが、それでも問題が残る。 何故なら、私は左手でないと常識一般で右で行う事をできない物があるからなのだ。 左利きを右利きに矯正された人間なら、似たような事は多いだろう。 そうなると私は右利きに分類されない事になる。 さらに言えば左利きでも無い。 では何なのか。 どちらでもない、などと言っても社会一般では通用しないだろう。

ここまでの議論で反論できない方は、もはや右利き・左利きと言いはる事はできない。

もちろん冗談である。 これは単なる私の悪戯だ。

辞書によれば右利きは、「左手より右手のほうがよく利くこと、自由であること」とある。 つまりどちらの手を主体的に使っているかによって利き手が決まるという事である。 だがこの定義は主観的であり曖昧で抽象であり、数学的に定義可能かどうか怪しい所である。 もし両方の手の利き方が同程度ならどちらになるか、そもそも利き事象を数える事自体可能かわからないのだから、定義自体が間違っている。 この定義の根拠は、普通に考えて利きが同等になる事は現実的に実現不可能であろう、というその1点のみである。

このような利き手の定義では、もはや利き手について議論する事自体間違っている。 今、利き手世界は崩壊したのである。 あなたは利き手を宣言する事は不可能である。

解決策は1つ。 あなたが利き手だと思ったほうが利き手。 それだ。
しかし、利き手を分類する事に何の意味があるのだろう。 もしかしたら、崩壊したほうが実は良かったのかもしれない。


 ちなみに。
左利き、のほうが意味が多い。酒好き。
ノミ(農具)を持つのは左手である事から、ノミ手→飲み手の洒落。

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