最近また何やら、ぶり返してきた STAP 細胞。
報道とか、一般の方には理解していただけないと思うが。
色々な検証の結果、分かった事は、STAP 細胞があるのか無いのかは分からない、
ただし、あの人の方法では再現できなかった、という事だけ。
この理屈は、科学の徒でないと理解しづらいのかもしれない。
だから。
明日には、別の方法で STAP 細胞が発見されるかもしれないし、
存在してるのに、地球が滅んでも発見できないかもしれないし、
全然、全くこの世には存在してないかもしれない。
ただし、うさんくさい論文のおかげで、あるか無いかの答えに至るアプローチができた、
かもしれない。 ← 今ここ
科学の徒の無駄なあがきを温かい目で見守っていてください。
どこかの都知事が、税金を私的に使っていたとかいう問題について。
パッと見、腹が立つのかもしれないが。
正直、高い給料をもらって、その金が何に使われているのか不明になるより、
公金を使って、使用内容を詳細に公開された方が、実際、良いんじゃないか。
変な趣味とか変な組織に金が流れるより、公開前提で金使ってもらったほうが断然良い。
公人の報酬が高いのは、デカい責任を背負ってるからだけでなく、
何かトラブった時にその金を使ってもらって、引き続き業務を執行してもらうためでもある。
そこは最低限にしぼって、後は普段は公金を使ってもらったほうが公人に相応しい人になる。
まぁ、税金の無駄遣いかもしれないが、必要悪って事で納得した方が良いのでは?
小説。
次から次へと、場面が目まぐるしく変わるヤツで。
でも、それについていこうと必死に読み解いていくうちに、
すっかり世界観にのめり込んでいた。
こういう作り方もあるんだなぁ、と感心した。
アニメ。
一時期、あの手この手で奇を衒った表現があふれた時代があったが。
そんな物よりもっと前に。
・主人公が途中から替わる
替わる回をリアルタイムで見てなかったもので次回を見た時、最強にビビった。
それにより、エンディングが全く別の意味に見れるという手の込みよう。
そういや、主人公が途中で死んで、別の人間で話が進む、という有名な小説もあったな。
・最終回で、まさかのノンクレジットオープニングが流れる
おそらく、世界観を最大限に表現するためにやったのだろう。
悲しみとか、人々の思いとか、そして決意とか。
まぁ、そのあとの本編でクレジットされるんだが。
という事で、20世紀のアニメは良いぞぉ、っていう話。